2015.6.24

恋愛に必要な
陶酔力を持つ女子、
持たない女子

恋愛力とは結局、「陶酔力」なのだと思わされるが、大人として自分を客観視する能力を必要とされる中で、
少女のようにまっすぐな心で陶酔するというのは案外至難の技なのだ。

恋愛体質な彼女

家入明子 おひとりさま 離婚 陶酔力を持つ女子

 先日、とある付き合いたてほやほやのカップルとのランチ会に赴いた。
男性の方とも、女性の方ともそれぞれ以前から面識があったのだが、出会ったのは別々のタイミングだったので、まさか交わる事のなかった二人がいつの間にやら交わっていることに非常に驚いた。待ち合わせていた店に連れ立ってやってきて、並んで座る2人を目の前にしても尚、どこか不思議な感覚である。

「何頼む?ハンバーグにしよっか!焼き加減は?」「レアで」
付き合いたてとはいっても、注文ひとつとってもすでに阿吽の呼吸である。付き合いだしたきっかけや現在の状況など、主にわたしと彼女とで話しをするのだが、たまに彼の方に話題をふってみると「どうなの?」と彼女がニッコリ微笑みながら彼の顔をぐいっと間近で覗き込む。彼はそれに照れながら嬉しそうに答える。そんな彼を、ただただ愛おしくて仕方がないという感じで、うっとりとした眼差しで見つめる彼女。
彼女の一連の仕草はどれも、女の私でもドキドキしてしまうような色っぽさ、大胆さである。これはええもん見せてもらっている、しかと目に焼き付けておかねばと必要以上にギラギラした目で凝視する私。すると彼の耳を自らの両手でふさいでから、彼女が、ウフフといたずらっぽい笑顔を向けて教えてくれた。

「私ね、恋愛体質なの」

「え、今なんて言ったの?」と尋ねる彼に「ん?気になる?内緒」と言いながらやはりニッコリ微笑み、彼の方に顔を寄せる彼女。次第に二人の距離はどんどん近づき……えっ、そ、そんなっ、もしかして…とこちらの動揺をよそに、期待に応えてまさかのKISS。10余年の主婦期間を経て娑婆に復帰したばかりの私には大変刺激の強い昼下がりとなった。

 恋愛体質を自認する彼女は、幼少期から本を読むのが大好きだったという。本のこと、そして彼のこと、自身の好きなものについて目をキラキラさせながら屈託なく話す彼女は、私と同じ21世紀の東京砂漠を生きている現実の女性というよりどこか、物語の中に生きている天真爛漫な少女といった雰囲気をまとっている。
そんな彼女を見ているとつくづく、恋愛力とは陶酔力なのだと思わされる。そもそも主観から逃れられない私たち、泣いても笑っても自分の物語を生きるより他ないのだからこんなこと言うのはおかしいようだけど、大人として自分を客観視する能力を必要とされる中で、好きな相手に、あるいは自分の心地よい愛の世界に、少女のようにまっすぐな心で陶酔するというのは案外至難の技なのだ。

陶酔力が高そうで低いクリエイター女子

 このことを考えていて、一つ思い出したことがある。
女性の生涯未婚率を職業別に調べてみると、顕著に高い職業として著述家や美術家、記者、編集者などのクリエイター職が挙げられるというのだ。
(参照http://tmaita77.blogspot.jp/2015/05/blog-post_9.html

 色々なケースがあるとはいえ結婚する人は多くの場合恋愛する。創造を仕事にしているクリエイター女子は物語と親和性高そうだし陶酔力高そうで、先ほどの話からいえば、陶酔力が高ければ必然的に恋愛力も高いはずである。
ところが、クリエイター職女子の生涯未婚率は他より高い。これは一体なんでかと考えてみると、クリエイターの仕事のあり方に行き着く。彼らは本来、自分の作るもので人を酔わせるのが仕事であって、自分が酔ってしまってはいけない人たちなのだ。大抵のクリエイターはおそらく作品を作る過程で、今自分が自分に酔ってないかということに絶えず気を張っているはずである。自分に酔いながら作り上げたらものは妙に鼻に付く、くっさいものになってしまうから、自分から一歩引いてものを作る。
つまりクリエイター女子はこういった理由から職業柄、陶酔力が低くなりがち、そして自ずと恋愛力も低くなりがち、そのために生涯未婚率も高くなりがちな傾向にあるんではなかろうか。

 ところがよくよく周りを見ていると、クリエイター職に代表される陶酔力低めの女性達が、いともたやすくのめりこんでしまう類いの恋愛が一部にある様である。それは一体何かっていうと、いわゆる性悪な男との恋愛である。
既婚者とか、一部の文化人とか、カルト宗教(あるいはそれに似たような集団)の教祖様とか、何の因果かそういった人たちというのは、一般的にはあまり知られていない陶酔力低い女性の扱い方を熟知している。
陶酔力が低い女性は、自分の気持ちを最大限尊重されながら穏やかに展開される、優しさ溢れるほのぼのとした恋愛には全然陶酔できない。考える余地があればたちまち自分を冷静に見つめるもう一人の自分が脳内に出演してしまうからである。脳内のもう一人の自分は、ほのぼの恋愛を楽しもうとする自分を脳内で粘着質に実況してくる。そうやって陶酔を妨害してくるんである。
ところが性悪な男というのは、相手の気持ちを微塵も考慮せず、好き勝手に、一方的に自分のペースに巻き込む。翻弄し、支配し、傷つける。そうやって痛いほどの苦痛を味わって、正常な感覚を麻痺させたときに、陶酔力低めの女子たちはようやく、脳内のもう一人の自分を抹消できる。へとへとになって初めて、恋愛に陶酔できるのである。

悪い男に巻き込まれるのは危険だからパンをこねよう

 これまでのことをまとめると、恋愛力は陶酔力、陶酔力が低いと悪い男に引っかかりやすい、ということになる。しかし絶望することはない。性悪の男性との恋愛にどっぷりはまった結果、瀕死の状態から立派に更生し、ほのぼの恋愛を楽しむフェーズにシフトした賢い女性たちの話もたくさん聞く。
危険なものをうまく回避できればそれに越したことはないけれど、危険なものにはやはりそれなりの魅力もあるわけで、夢中にさせる何かがある。道半ばでそこから手を引くのは非常に難しい。もう限界と自分が思えるところまで、とことんのめり込むより他ない。痛い目を見てもなんとか生還して、次に同じ失敗をしないよう学びさえすればそれでいいのだ。

 おひとりさまというだけでやれ恋愛しろ、婚活しろと周りから口うるさく言われる厳しい世の中である。先に紹介した幸せな二人は端的に言って羨ましいが、あおられるままに恋愛力、陶酔力を高めようと思ったところでそう簡単にはいかないもの。多少の背伸びをしながら自分を更新していく作業は自分が退屈しないために不可欠な作業だが、そうかといってあまりに不自然なことは続かない。
相手を必要とするものは、基本的には全てタイミングだ。巡り合わせのない場合には私は私と、そう、たとえばパンでも焼いて、のんびり構えていればいいのではないか、と思う次第である。

Text/家入明子