2016.1.15

ボロは着てても
心は錦と言いまして。

暮らしの質を落としてみて気づいたのは自分が固執してたものが不要になっていたこと。
それまでの価値観から新しい価値観へ入れ替えるチャンスに目を向けて。

贅沢な家で暮らせなくなってしまった

世界は一人の女を受け止められる 家入明子 ©2016 momoko harada

 前に住んでいた家には、24時間管理人さんが常駐していて、クリーニングやケータリング、宅急便の手配なんかを請け負ってくれていた。ゆとりある内装に、洗濯機やガス乾燥機など必要な家電もあらかた備え付き。なかなか贅沢な家だった。ところが色々あって、沢山あると思っていた我が家のお金がいつの間にやらなくなっていて、とき同じくして夫婦関係にも終わりが見え始めたので、嫌が応にも生活を大きく変える必要が出てきたのだ。

 途方にくれる私を見て、多くの友人たちは「もう地元に帰りなよ」とアドバイスしてくれた。一度上げてしまった生活水準はなかなか落とせないし、東京に住むことにこだわって家賃で首が絞まるより、家賃も物価も低い福岡の地元に帰った方がいいんじゃない?というのが、彼らの好意からの意見だった。

 そうは言っても、子供たちの学校はなるべく変えたくないし、私は東京が好きだし、地元には帰りたくないなあと思っていた。で、何か良い手はないかと考えていたあるとき、ふと近所に面白い物件を見つけた。築40年以上経っている古いマンションの一室。広さは、それまでの家の3分の1程度になるけれど、働き出した頃から、広い家の掃除をして、綺麗な状態を維持する余裕がなくなってきていたし、ちょうど良いように思えた。狭い分、家賃もすごく安くなるし、何よりその部屋、壁を抜こうが色を塗ろうが、好きなように改装して良いことになっていて、退去時の原状回復の義務もない、DIY推奨物件だったのだ。
 

自分が選んで、手をかけた家で暮らす

 それまで住んでいた贅沢な家も決して悪くなかったけれど、壁や絨毯はとりあえず白にしとけば大方の人は文句言わないだろうっていうような、投げやりな最大公約数といった感じで特に共感はなかった。部屋の造りはどれだけ広くても、照明ソケットの位置なんかで、ダイニングテーブルはここ、ソファはここっていうように、あらかじめ家具の配置を決められているような窮屈さもあった。とは言え、私自身にそこまでのこだわりもないので、まあそんなもんだな、と思い生活していたのだ。
 ところがこの新しい物件を発見したことによって、欲望が途端に、パーンと炸裂してしまったのだ。自分が手をかけた家で、自分の好みを遺憾なく発揮して、好きなように暮らす、なんて楽しそうだろうと思ったら、もうそこで暮らす以外の選択肢が頭の中になくなってしまった。それで結局、家を見つけた翌々月には引っ越しをした。契約自体は翌月に済んでいたものの、床板を貼り替えたり、壁紙にペンキを塗ったり、入居前のDIYに1ヶ月ほどを要したのだ。

 大きい家具もあらかた処分して、ついに迎えた引っ越して当日。手伝いにやってきてくれた妹が新居を見るなり、しみじみとした表情で言う。
「よくここまで生活レベルを落とせたね、お姉ちゃん偉いわ」
私はそれを聞いたとき初めて、そういえばそうか、と思った。それまでより狭くて、古くて、家賃の安い家に引っ越すというのは、一般的にはいわば左遷、あるいは都落ちなのであって、体裁を気にすると結構屈辱的なこと。成し遂げるだけで立派だと褒めてもらえるようなことだったのだ。

 実際、今私の住んでいるこの家がDIY推奨でもなんでもなく、ただの狭くて古いだけの家だったら、やっぱりちょっと惨めな気持ちになっていたと思う。だけどこの家は、前の家に決してなかった新しい価値を持っていたから、私の中では理想とする暮らしを手にするための完全なる栄転であった。DIYした狭くて古い家に住んでいる私はちょっとこだわりがあるっぽくてカッコイイし、おまけに家賃が下がってラッキー、そんなミーハーな思いで胸いっぱいだったのだ。
 

うまくいかないときこそ「価値観の棚卸し」

 ずっと同じように生きていても、自分の意思とは裏腹に、止むを得ず何かを手放したり、何かを諦めたりしなきゃいけないときって往々にしてやってくる。
 そういうときって、やっぱりちょっと惨めだし、寂しいし、悲しい。だけどそこでちょっとだけ抵抗して、目の前で起きていることを、ただ惨めで、寂しくて、悲しいだけのことにしない方法を探ってみる。すると案外その過程で、それまで自分に不可欠だと固く守り抜いてきたこだわりが、実はとっくに不必要になっていたこと、ただ固執していただけだったことに、気づかされたりするものだ。
 だから、何となく色々うまくいかないときって、それまで自分が育て上げた価値観を、一旦棚卸しする貴重なチャンスなのだ。賞味期限の切れたものを廃棄すれば、空いたスペースにはその時本当に必要なものを、新たに陳列することができる。

 見慣れた景色も良いけれど、意を決してちょっとだけ遠くに足を伸ばせば、案外、今よりもっと美しい景色が広がっているかもしれない。少なくとも、世界がそんな希望溢れる可能性を有していると気づけたことは、過去の棚卸しによって得られた、大きな収穫の一つなのだ。

 Text/ 紫原明子